津軽為信 神社の神様 - 神社ファン

津軽為信

つがるためのぶ

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
津軽為信

弘前城資料館所蔵(パブリック・ドメイン)

祭神ランキング1527位

  • 大名

江戸 [1550年~1608年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 津軽為信とは?

    津軽為信(1550‐1607)は戦国時代末期~江戸時代初期に活躍した大名。父親は南部氏の支族である下久慈城主久慈信長とも、大浦城主の大浦守信とも言われるが定かではない。母親は九戸政実の妹と言われ、母親が津軽(青森県弘前市)の大浦城に身を寄せたために、大浦城主である大浦為則の娘阿保良と為信は婚姻に至り、やがて為則が死去したために大浦家の家督を継承することになった。当時の津軽一帯は石川城の石川高信が統治していたが、為信は支城の堀越城改修を装い油断を誘った上で奇襲攻撃をかけ高信を討ち取ったとされる。その後、南部家の内紛などに乗じて為信は津軽を統一。為信は石田三成を仲介として豊臣秀吉から鼻和郡、田舎郡の津軽三郡の所領安堵を勝ち取ることになる。その後、秀吉の小田原攻めに際してはいち早くはせ参じた。同じく参陣した、三戸城主南部信直に津軽三郡を強奪したと訴えられるが為信は石田三成、羽柴秀次らに釈明し逆に独立大名としての地位を得た。この時から津軽為信を名乗るようになる。その後の関ケ原の戦いでは徳川家康につき、結果、津軽藩主としての地位を勝ち取っている。 為信は青森県弘前市にある高照神社に祭神として祀られている。高照神社は第4代弘前藩主津軽信政公を祀る神社であったが、明治時代に入り藩祖である為信が合祀されるに至った。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。