鳥海弥三郎
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 武人
平安 [~1087年]
鳥海弥三郎とは?
鳥海弥三郎(1032-1108)は、平安時代中期の武将。安倍宗任の名で知られている。陸奥国の豪族安倍氏の安倍頼時の三男。宮城県亘理郡に鳥海の浦という地があり、そこで誕生したため鳥海弥三郎と名乗ったと言われている。1051年の前九年の役で、胆沢郡鳥海柵を本拠地として父・頼時や兄・貞任とともに源頼義と戦った。貞任が厨川柵で殺害されると弥三郎は降伏し、源義家に都へと連行される。都の貴族が、連行されてきた弥三郎を奥州の田舎者は花の名も知らぬだろうと馬鹿にして梅の花を見せ名前を聞くと、弥三郎は「わが国の 梅の花とは見つれども 大宮人はいかがいふらむ」と歌で返答してみせて貴族を驚かせたという逸話が残っている。連行後は四国の伊予国に流されるが、徐々に勢力を取り戻すかのように見えたので、1067年に筑前大島に再度流された。しかしその後も日朝、日宋貿易において重要な役割を果たしたといわれている。 宮城県石巻市給分浜鳥海にある鳥海神社は、鳥海弥三郎を主祭神として祀っている。漁民に効率の良い漁を広めたという言い伝えがあり、大謀網の始祖神として信仰されている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
