長宗我部元親
ちょうそかべ もとちか
- 歴史的人物
- 男神・男性

秦神社所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 大名
戦国~安土桃山 [1539年~1599年]
長宗我部元親とは?
長宗我部元親(1538-1599)は戦国時代末期の大名。土佐国岡豊城主で20代当主の長宗我部国親の嫡男であり、母親は美濃守護代斎藤利良の娘。父国親から家督を継承した元親は、本山、安芸、津野などの土佐の有力国人を倒したうえで、安芸国を統治していた一条兼定を豊後に追いやり土佐一国を平定した。もともと長宗我部家は土佐七雄と呼ばれる7家の中でも最弱の家柄と言われていた。しかし元親は忍従の上経済基盤を確立し、農民の中からも勇猛な者は武士として取り立て態勢を整えていった。この農民から武士に転換した家臣団が後に土佐に入った山内一豊おも苦しめた一両具足の原型である。土佐を平定した元親は四国全土の平定に乗り出すが、その際に対立した阿波国(徳島県)の十河存保は豊臣秀吉を頼ったために、四国平定は成ったが秀吉との諍いが残った。紀州征伐を終えた秀吉は伊予、讃岐の返納を要求し、元親は伊予一国のみを割譲し和睦に持ち込もうとするが、大軍勢が派遣された元親はあえなく降伏し土佐一国のみを安堵され秀吉に臣従を誓っている。また、元親には土佐湾で確保した10mを超える鯨を大阪城に持ち込み秀吉の度肝を抜いたといった豪壮な逸話も残されている。 元親は高知県高知市にある若宮八幡宮に祭神として祀られている。若宮八幡宮は菩提寺であった雪蹊寺が明治新政府の廃仏毀釈により廃寺とされたために元親の子孫に請願により創建された神社である。
ご神徳
ご神徳は不明です。
