中川清秀
なかがわきよひで
- 歴史的人物
- 男神・男性

碧雲寺所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1003位
- 武人
戦国~安土桃山 [1542年~1583年]
中川清秀とは?
中川清秀(1542-1583)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。父は中川(高山)重清。キリシタン大名・高山右近はいとこである。はじめは池田勝正に仕えていたが、池田家で内紛がおこり勝正が追放されると、その後に当主となった池田知正に仕え、同じく池田家家臣の荒木村重とともに白井河原の戦いで勝利。茨木城主となり、池田家などの有力者たちが衰退すると村重と右近とともに摂津での独立勢力として君臨した。信長が摂津国主を村重に任命するとそれに仕えたが、1578年に村重が信長に謀反をおこし信長軍が攻めてくると右近とともに信長へと降り、村重を攻めた。信長亡き後は豊臣秀吉に仕え、天王山を奪取するなど山崎の戦いで活躍した。賤ケ岳の戦いで大岩山砦を右近や三好信吉と守っていた時、佐久間盛政の激しい攻撃に遭い、右近などは撤退したが清秀は城に留まり、戦死。享年42。 大分県竹田市にある中川神社、大分県大分市三佐にある太刀振社などは中川秀成、秀政とともに清秀を主祭神として祀っている。また、滋賀県長浜市余呉町の大岩山砦の本丸跡には、清秀らの墓が残されている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
中川瀬兵衛なかがわせびょうえ
その他
