中川久清 神社の神様 - 神社ファン

中川久清

なかがわひさきよ

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
中川久清

碧雲寺所蔵(パブリック・ドメイン)

祭神ランキング1527位

  • 藩主(岡藩)

江戸 [1615年~1681年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 中川久清とは?

    中川久清(1615-1681)は、江戸時代前期の大名で、豊後国岡藩3代藩主。父は中川久盛、母は松平定勝の娘。学問の普及と藩政改革に努めた名君であり、岡藩中興の英主といわれる。幼いころから学問を好み、兵学や陽明学に通じていた。1635年、将軍・徳川家光に初めて御目見えするとともに、石川忠総の娘との婚礼を命じられた。1653年に父の死去により家督を継ぐ。藩政を盤石なものとするため、家老制度、奉行制度などを制定した。「郷中法度」を定め、農業の生産率向上や藩財政の安定化を図った。久清はかねてから親交のあった岡山藩主・池田光政に頼み、儒学者であり農業土木の第一人者としても知られていた熊沢蕃山を招き助言を乞い、大規模な井路開削や新田開発を行った。その結果、実際の岡藩の所領7万石より3万石も多い石高を得ることに成功したという。1666年に長男・久恒に家督を譲り隠居したが、実権は握り続けた。 竹田市久住町の大船山の麓の来田見神社は、久清を主祭神として祀っている。また、大船山には中川久清の墓である入山公廟がある。生前大船山をこよなく愛した久清は、自身の墓所をここに設けるようにと遺言を残していた。この入山公廟は日本国内で最も標高が高い藩主御廟と言われている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。