中江藤樹
なかえとうじゅ
- 歴史的人物
- 男神・男性

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祭神ランキング1527位
- 学者
江戸 [1608年~1648年]
中江藤樹とは?
中江藤樹(1608-1648)は、江戸時代初期の近江国出身の陽明学者。近江聖人と名高い。父は農業を営む中江吉次。9歳の頃に武士である祖父・徳左衛門吉長の養子となる。国替えの後、1622年に祖父の死去により家督を継ぐ。この頃、京都から来た僧に論語を学び、それをきっかけに四書大全を熟読した。武士として自らにも厳しく、元々頑なに真面目な性分だったためか徐々に心身共に病み、1634年に親孝行と療養が理由の辞職を申し出たが、藩に拒否され脱藩した。しばらく京で潜伏したあと近江に戻り、刀を売った金を元手に金貸しや酒屋で金を貯めると儒学や医学を扱う私塾を開いた。屋敷に藤の巨木があったことから藤樹先生と呼ばれるようになったという。多少不出来な子にも熱心に教え、後に立派な医者になった者もいた。このような学問への姿勢が、近江聖人と称賛される所以である。また、「翁問答」や「鑑草」など数々の著書を残しており、藤樹の言葉は現在も広く人々に読まれている。 滋賀県高島市安曇川町にある藤樹神社は、中江藤樹を主祭神として祀っている。周辺には藤樹書院や記念館、墓所などがあり、駅からの通りは藤樹の通称・与右衛門から「よえもんさん通り」と名付けられている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
近江聖人おうみせいじん
その他
中江与右衛門なかえよえもんこれなが
その他
