小笠原貞宗
おがさわらさだむね
- 歴史的人物
- 男神・男性

国書刊行会(集古十種 パブリック・ドメイン)
祭神ランキング4751位
- 武人
鎌倉~室町 [1292年~1347年]
小笠原貞宗とは?
小笠原貞宗(1292-1347)は、鎌倉時代後期から室町時代前期の武将、信濃小笠原氏の当主、信濃守護。元々は鎌倉幕府に仕えており、後醍醐天皇にも弓馬を指南したと言われている。1331年の元弘の乱では後醍醐天皇の討幕運動を鎮圧する側に参陣し、楠木正成の赤坂城を攻めた。しかし翌年、足利尊氏が幕府に反乱を起こすとこれに加わり、鎌倉の戦いに参加。この功績で安曇郡住吉荘を与えられ信濃守護となり、井川に城を築き居城とした。。中先代の乱の鎮圧後に尊氏が後醍醐天皇から離反した際も、尊氏に従った。後醍醐天皇が比叡山へ逃れると、貞宗は琵琶湖の湖上封鎖を行い、後醍醐天皇軍の兵糧を絶った。その後も北朝側に仕え各地を転戦、延暦寺を討ち、義貞の金崎城を攻めるなど次々と功を立てた。貞宗は騎射に優れ、故実に通じていたといわれ、幕府の的始や笠懸、犬追物の射手も務めていた。また今川氏、伊勢氏とともに武家礼節を定め「三儀一統」を著した。晩年は隠居して京の四条高倉に住んだ。1347年、56歳で死去。 長野県松本市深志にある深志神社は、小笠原貞宗が信濃国一宮の諏訪大社より御分霊を受けて建御名方命を祀り、宮村大明神と称したことが始まりとされる。
ご神徳
ご神徳は不明です。
