池田利隆 神社の神様 - 神社ファン

池田利隆

いけだとしたか

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
池田利隆

林原美術館所蔵(パブリック・ドメイン)

祭神ランキング1527位

  • 藩主(姫路藩)

安土桃山~江戸 [1584年~1616年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 池田利隆とは?

    池田利隆(1584-1616)は、江戸時代前期の大名で、播磨国姫路藩2代藩主、岡山藩池田家宗家2代。池田輝政の長男であり、1600年の関ヶ原の戦いに父とともに東軍から参戦。1603年には異母弟の忠継が備前岡山藩主となり、利隆は幼い忠継に代わり執政代行として実質的な領主として藩政を取り仕切る。慶長検地や兵農分離、宇喜多秀家や小早川秀秋らの夫役の廃止などの体制改革に尽力した。1605年、徳川秀忠の養女・鶴姫を正室に迎え、幕府との関係を深める。この時、秀忠から青江の刀、左文字の脇差を拝領する。1613年に父の輝政が死去し、家督を継いだ。大坂冬の陣では、豊臣秀頼の誘いを受けるもその手紙を京都所司代・板倉勝重に差し出して東軍へと参陣、緒戦の尼崎合戦で戦果を挙げた。夏の陣でも天満橋の防衛で貢献している。1616年、義弟・京極高広の屋敷で病死。33歳だった。家督は嫡男の光政が継いだが、幼いことを理由に翌年に鳥取藩に転封されている。 岡山県備前市閑谷にある閑谷神社では、嫡男の池田光政、父の輝政とともに利隆を主祭神として祀っている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    祀られている主な神社

    閑谷神社
    (岡山県備前市閑谷748)