池田忠雄 神社の神様 - 神社ファン

池田忠雄

いけだただかつ

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
池田忠雄

清泰院所蔵(パブリック・ドメイン)

祭神ランキング1003位

  • 藩主(岡山藩)

江戸 [1602年~1632年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 池田忠雄とは?

    池田忠雄(1602-1632)は、江戸時代前期の大名で、淡路国洲本藩主のち備前国岡山藩2代藩主。因幡国鳥取藩池田家宗家2代。播磨国姫路藩主・池田輝政の六男だが、三男とされていた。徳川家康の外孫にあたり、7歳で元服、9歳で淡路洲本城に6万石を与えられる。1614年には大坂の陣、木津川口の戦いに参加。翌年、岡山藩主であった兄・忠継が早世したためその跡を継ぎ、相続の結果31万石ほどを得る。藩内の新田開発や治水工事の傍ら、大坂城改築工事にも参加し、巨石を運んだ。1630年、忠雄が寵愛していた小姓の渡辺源太夫という少年が藩士の河合又五郎に殺害されたため又五郎を裁こうとするが、旗本の安藤正珍が又五郎を匿う。旗本と池田家の争いに発展するが、そんな中忠雄が急死。31歳であった。死因は天然痘とされているが、毒殺説も存在する。幕府は忠雄の死に配慮し、又五郎は江戸所払い、正珍らは寺預けという裁定を下した。なお、若くして死去した忠雄を偲び、甥の光政が忠雄の追悼歌を残している。 鳥取県鳥取市上町にある鳥取東照宮は、徳川家康や池田忠継らとともに池田忠雄を祭神として祀っている。旧名称の樗谿神社としても親しまれている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    祀られている主な神社

    東神社
    (北海道岩見沢市東1番地)