池田忠継 神社の神様 - 神社ファン

池田忠継

いけだただつぐ

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
池田忠継

清泰院所蔵(パブリック・ドメイン)

祭神ランキング1003位

  • 藩主(岡山藩)

江戸 [1599年~1615年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 池田忠継とは?

    池田忠継(1599-1615)は、備前国岡山藩初代藩主で、鳥取藩池田家宗家初代。池田輝政の五男だが、次男とされていた。母は徳川家康の次女・督姫であり、忠継は家康の外孫である。1603年、小早川秀秋の改易によりわずか5歳で備前岡山28万石を与えられるが、幼かったため異母兄の利隆が代わって藩政を担った。1614年、父・輝政が亡くなると、母の化粧料として10万石を相続し、所領は38万石となった。同じ年の大坂冬の陣には兄・利隆とともに参陣したが、居城へ帰りつくと病に倒れ、翌年17歳という若さでこの世を去った。この死には忠継の母・督姫の、次のような伝説が残っている。督姫は忠継を姫路城主にしようと、姫路城主・利隆の暗殺を企み、饅頭に毒を盛って利隆に勧めた。しかし女中が掌に「どく」と書いて見せたため利隆は手を付けず、察した忠継は母を恥じて饅頭を奪い食べ、死亡した。忠継の死で自らの行いを恥じた督姫もまた、毒饅頭を食べ死んだという。 鳥取県鳥取市上町の樗谿神社では、徳川家康や池田忠雄らとともに池田忠継を祭神として祀っている。現在は鳥取東照宮と改名されているが、平成23年まで140年もの間、樗谿神社の名で信仰を集めた。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    祀られている主な神社

    東神社
    (北海道岩見沢市東1番地)