谷川士清
たにかわことすが
- 歴史的人物
- 男神・男性

Miyuki Meinaka(CC0)
祭神ランキング1527位
- 学者
江戸 [1709年~1776年]
谷川士清とは?
谷川士清(1709-1776)は江戸時代の医師であり国学者。伊勢安濃郡刑部村(三重県津市)の医師谷川順端の長子として生まれる。若くして京に出て本草学を学ぶ傍ら垂加神道を学び神道許状を受ける。帰郷後は医者の号を養順、号を淡斎と称して父の跡を継いで医師となり、主に内科、産科を専門として地域に貢献している。また、医師として診療を行いながら国学の研究に没頭し、日本書紀の注釈書である「日本書紀通証」を北野天満宮に奉納した。この事に感銘した本居宣長が士清に書簡を送り長く交流が続くことになる。また、士清が記した「和訓栞」は日本で始めて五十音順の索引を持った国語辞典と言われている。しかし、この「和訓栞」は士清が存命の内に完成を見ていない。全93巻となった刊行は、士清死後は家業として引き継がれ110年の歳月を経て完結している。また、晩年には「読大日本史私記」を著し水戸藩が編纂した「大日本史」の誤りを痛烈に批判した。このことにより幕府からの弾圧をうける身となり幕府から他参留、つまり領地以外への外出禁止の罰を受けることになった。晩年には塚を作り、士清自らの著述物が誤った解釈をされないよう土に埋め葬った。この塚は3日間玉虫が飛びかった事から玉虫塚とも呼ばれ現存している。 士清は三重県津市にある谷川神社に祭神として祀られている。谷川神社は大正14年に士清の功績を讃え地元の有志によって創建された神社である。
ご神徳
ご神徳は不明です。
