大夫房覚明
たゆうぼうかくみょう
- 歴史的人物
- 男神・男性

月岡芳年
祭神ランキング1527位
- 僧侶
平安~鎌倉 [~1241年]
大夫房覚明とは?
大夫房覚明(?-?)は平安時代末期~鎌倉時代初期の僧侶。出自は不明だが、藤原氏族の中級貴族の出身という説がある。は奈良興福寺の勧学院で進士蔵人通広という名で学問を修めていたが、以仁王が平清盛討伐を目的に挙兵に及んだ際に興福寺の僧兵にも令旨を発し決起を促した。その際に覚明もまた檄を飛ばし、興福寺の僧兵を鼓舞した。その際の檄文である「清盛入道は平氏の糟糠、武家の塵芥なり」の一文に清盛は大いに激怒し、覚明は煮立った漆をかけて顔面を変え興福寺より落ち延びたと言われている。落ち延びた後は木曽義仲の元に身を寄せ、この時に木曽注記大夫房覚明と名を変えた。学の浅い義仲の右筆を務めた覚明は木曽願文をしたため、義仲の上洛に大いに貢献した。義仲の死後は箱根山に隠遁し信救得業を名乗る。しかし素性は源頼朝の知るところとなり、箱根山での禁足を命じられる。その後、命に背いて箱根山を脱した覚明は若き親鸞と出会い、その真摯な姿に感銘を受け弟子となり法名を西仏と改めたといわれている。 覚明は広島県尾道市にある覚明神社に祭神として祀られている。覚明が義仲討ち死にの際にこの地に家臣らと逃れ、土地を拓き、農耕、治水灌漑に力を尽したという逸話が残されている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
大夫房覚明たゆうぼうかくみょう
その他
信救得業しんぎゅうとくごう
その他
覚明かくめい
その他
