大庭景親
おおばかげちか
- 歴史的人物
- 男神・男性

歌川国芳
祭神ランキング1527位
- 武人
平安 [~1180年]
大庭景親とは?
大庭景親(?-1180)は、平安時代末期の相模国の武将。平良文の末裔・鎌倉景正の流れを汲む一族の出身。鎌倉権五郎景政が開発し伊勢神宮に寄進された荘園、大庭御厨の経営を行っていた。1144年にはこの大庭御厨に源義朝が鎌倉郡内と称して乱入、大規模な収奪を行ったという因縁がある。1160年に起こった平治の乱の後、平家の家人となる。1180年、源頼朝が挙兵すると石橋山の戦いで頼朝の軍を撃破するが、安房国に逃れた頼朝が再度挙兵し鎌倉に向かってくると手が出せず、富士川の戦いの後に景親は降伏し、処刑された。ちなみに景親の兄の景義は1156年の保元の乱の以前から源義朝に仕えており、平家が討ち果たされた後も変わらず源氏方の家人として仕えている。2人は兄弟で源平それぞれに仕え戦ったということになり、そこには、源平のどちらが残るにしても大庭の家と名を残すという思惑があったのではないかと言われている。 神奈川県藤沢市稲荷の大庭神社では、大庭景親を御祭神として祀っている。この神社はかつては大六天の熊野神社にあったといわれている。大庭城址の南を流れる引地川沿いの高台にある古社で、延喜式内相模国十三座に数えられていた。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
大庭神社
(神奈川県藤沢市稲荷997)
