大谷休泊
おおやきゅうはく
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- その他
戦国 [1521年~1578年]
大谷休泊とは?
大谷休泊(1521-1578)は、戦国時代の農政家。関東管領山内上杉家に仕えて、新田開発に尽力した人物として知られている。館林城の長尾顕長に招かれ、館林周辺の開発事業を任された。休泊はまず、太田金山の松苗を運んできては、たびたび日照りで枯らしながらも根気よく植林を続け、防風林を作り上げた。遠くから苗を用意しないといけないほど、周囲は荒れ地だったことを意味するが、休泊は21年もの間、実に150万本の松を植え続け、防風林は518ヘクタール、12kmにも及んだという。松を植える様子は、初めは他の民に馬鹿にされていたが、時がたつにつれ認められ、休泊が資金難に陥って撤退を考えた時などは村人たちが総出で引き留めたと言われる。また、植林後につくられた用水路についても「休泊堀」と呼ばれ、後の農産業の発展にに多大な影響を与え、貢献した。休泊堀は渡良瀬川を水源にして、矢場堰を設け、多々良沼までの間に上休泊堀を作りながら開墾していった。さらに多々良沼を水源とする下休泊堀も堀り、その周りの地域には新田とともに新しい村々が生まれ、農業で栄えた。 群馬県館林市成島町の大谷神社には、現在の水と緑豊かな故郷の礎を築いた人物として、大谷休泊が祀られている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
大谷神社
(群馬県館林市成島町371番地)
