大村益次郎 神社の神様 - 神社ファン

大村益次郎

おおむらますじろう

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
大村益次郎

表記なし(パブリック・ドメイン)

祭神ランキング1003位

  • 学者

江戸~明治 [1824年~1869年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 大村益次郎とは?

    大村益次郎(1824-1869)は、幕末期の長州藩の学者。村田良庵、村田蔵六などの名前も使っていた。維新の十傑のうちの一人。周防国吉敷郡の村医・村田孝益の長男。梅田幽斎の元で蘭学と医学を学び、広瀬淡窓の私塾咸宜園、緒方洪庵の適塾を経て知識を深める。1850年、父に頼まれ帰郷し村医を継いだが、伊予宇和島藩の要請で出仕。1856年には江戸に出て私塾鳩居堂を開き、蘭学、兵学、医学を教え、その後務めた幕府の蕃書調所教授方手伝では最高水準の翻訳が評判となった。萩へ帰国した後も兵学講義や通訳などを経て、長州藩の兵を整理統合と再編、奇兵隊の指導など軍事的な仕事を任されている。戊辰戦争でも軍の江戸攻撃案の作成、練兵を行い、江戸へ下った後は軍務官判事と江戸府判事を兼任。旧幕府残党などが集まり無法地帯となっていた江戸中心部を、討伐軍を率い鎮圧した益次郎はついに事実上の新政府軍総司令官まで上り詰めた。しかし、その後の日本軍の在り方については周囲の賛同を得られず、同じく新政府の幹部であった大久保利通らと対立。京都での会食中に襲われた傷が元となり、敗血症で死去した。 山口県山口市鋳銭司にある大村神社には、大村益次郎が主祭神として祀られている。大阪の病院で死去した益次郎は舟でこの地に運ばれ埋葬されたという。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    別称・異称

    大村永敏

    おおむらながとし

    その他

    祀られている主な神社

    山口縣護國神社
    (山口県山口市平野二丁目2番1号)
    大村神社
    (山口県山口市鋳銭司一四一一番地)