大西頼包
おおにしよりかね
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祭神ランキング1527位
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戦国~安土桃山
大西頼包とは?
大西頼包(1548-1590)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての阿波国の武将。大西頼武の子で、大西覚養の弟。1577年、長曾我部元親が大西氏の白地城などを攻めた折、兄の大西覚養から元親の元へ人質として出されたのが頼包である。覚養は元親と和睦を図る形を見せたが、ほどなく三好家の要請により寝返ってしまう。頼包は兄より元親へ与することを決意し、白地城の支城・田尾城の道案内をし、元親はそれを足掛かりとして田尾城を2日で攻め落とした。覚養が麻城に落ち延びたあと頼包は本領を安堵され、馬路城に入った。その後も元親の家臣として覚養を説得して長宗我部側に投降させ、その他にも西讃岐や東伊予の諸将との交渉を務めたり、引田の戦いで羽柴秀吉方の仙石秀久を破るなど活躍した。しかし1584年頃から元親との間に亀裂が入り、井内谷へ隠遁する。翌年、蜂須賀家政が阿波国国主となると、1万石を与えられるはずがわずか3000石に減封されたため、讃岐に退去。1590年に死去した。 徳島県三好市山城町大月にある四所神社には、大西頼武とともに大西頼包が祭神として祀られている。樹齢600年の大杉が見事な神社である。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
四所神社
(徳島県三好市山城町大月字宮ノ東70)
