大西頼武
おおにしよりたけ
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 武人
戦国 [~1577年]
大西頼武とは?
大西頼武(?-1577)は、戦国時代の阿波国の国人領主で、阿波白地城主。鎌倉時代前期、近藤氏によって白地城が築かれ、南北朝時代に田井荘の荘官・近藤京帝が改修し、郷名である大西という姓を名乗りはじめた。その後250年に渡り大西氏は白地城を居城としている。中でも頼武は、三好長慶の妹を娶って阿波西部だけでなく周辺3国にも多大な影響力を及ぼした。長曾我部元親が四国統一を目前にするころ、頼武は息子の大西覚養へ家督を譲ったとされる。1573年頃、土佐を平定した長曾我部元親の軍勢が阿波方面への侵攻を開始。白地城は交通の要所として重要な位置にあったため、1576年、長曾我部軍が白地城へと押し寄せた。白地城は堅牢な守りを備えていたため落城は免れ、覚養は弟の大西頼包を人質に差し出すことで和議とした。しかし三好家からの要請により寝返り、元親の軍勢と再び交戦。元親は人質の頼包に道案内をさせて、白地城の支城・田尾城をわずか2日で落とし、覚養と頼武は讃岐方面へと敗走した。頼武は落ち延びる過程で自害したとされている。 徳島県三好市池田町白地の白地児童公園の一角(白地城の長月丸にあたる位置)に白地城址の石碑と大西神社があり、大西頼武を祭神として祀っている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
四所神社
(徳島県三好市山城町大月字宮ノ東70)
