大江広元
おおえのひろもと
- 歴史的人物
- 男神・男性

大庭学僊 - 毛利博物館所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 公家(貴族)
平安~鎌倉 [1148年~1225年]
大江広元とは?
大江広元(1148-1225)は平安時代末期~鎌倉時代初期にかけて活躍した貴族であり政治家。式部少輔大江維光の子で,明経博士中原広季の養子となった。ただし実父が広季、養父が維光という説もあり出自は定かではない。兄の中原親能は源頼朝と早くから親しく交わり京を離れ頼朝に付き従っていた。広元は朝廷で執務を行う中級貴族であったが、兄の縁もあり平家が都落ちをした時を捉えて鎌倉に下った。鎌倉では頼朝に文才を見込まれ公文所別当および政所別当の役職を得ると頭角を現し頼朝の側近としての地位を固めていく。広元は朝廷交渉の窓口役として頼朝に任じられ、しばしば京に赴き朝廷との間で様々な交渉事を取りまとめ幕府成立に大きく貢献をしている。頼朝の死後は北条政子、北条義時らと共に執権政治の安定に尽力をし、幕府内の序列では北条時政、義時に次ぐ第3位の地位にまで上り詰めていたと言われている。1221年に勃発した承久の乱では幕府の勝利にも貢献している。しかし、その後病に苦しみ出家の後病死している。 広元は神奈川県鎌倉市十二所にある大江稲荷に祭神として祀られている。大江稲荷は以前は時宗の寺院岩倉山光和触寺の境内社であった。現在では明王院の住職が管理している。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
盛長神社
(和歌山県白浜町534番地)
