大久保忠世
おおくぼただよ
- 歴史的人物
- 男神・男性

小田原城所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 武人
戦国~安土桃山 [1532年~1594年]
大久保忠世とは?
大久保忠世(1532-1594)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。松平(徳川)氏の家臣。大久保忠員の長男。蟹江七本槍、徳川十六神将の1人にも数えられるほどの名将といわれていた。その手柄は本家の伯父・大久保忠俊を凌ぐほどだった。三河一向一揆や三方ヶ原の戦いなどで武功を挙げており、特に三方ヶ原の戦いでは敗戦はしたが、闇の中で敵方の陣に銃撃を仕掛け、武田信玄に「さてさて、勝ちてもおそろしき敵かな」と言わしめたという。1575年の長篠の戦いでも弟・大久保忠佐とともに奮闘し、家康からはほら貝を与えられ、織田信長に「良き膏薬のごとし、敵について離れぬ膏薬侍なり」と賞賛されるほどの活躍ぶりだった。政治的にも優れた手腕を発揮し、本能寺の変以降は信州惣奉行として小諸城に在番し、依田康国の後見を務めた。1590年の豊臣秀吉の小田原攻めでは家康に従い参戦し、戦後は4万5千石で小田原城主となる。倹約家としても知られており、突然お金が必要になった時に備えて1か月のうちに7日間は食事を摂らない日を設け、その習慣は死ぬまで続けられていたという。 神奈川県小田原市城山にある大久保神社では、大久保忠世と忠真を御祭神として祀っている。大久保神社は元々は小田原城天守台跡に創建されたが、のちにそこが御用邸となったため1900年に現在の場所へ遷宮された。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
大久保神社
(神奈川県小田原市城山3ー27ー7)
