大久保忠教
おおくぼただたか
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 武人
戦国~江戸 [1560年~1639年]
大久保忠教とは?
大久保忠教(1560-1639)は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。江戸幕府の旗本。「三河物語」の著者であり、天下のご意見番、通称の彦左衛門などで知られている。大久保忠員の八男で、妻は馬場信成の娘。徳川家康に仕え、兄の忠世とともにと遠江平定戦などに参加。1590年には家康が江戸に移封され、兄・忠世と忠世の子・忠隣が相模国小田原城主になると、忠教も3000石を与えられた。次兄の忠佐は駿河国沼津城主となっており、子が早くに亡くなったため忠教を養子に迎えようと打診したが、忠教は自らの勲功はないと固辞した。その後忠隣が幕府内の争いに敗れて失脚・改易されると、それに連座して忠教も改易されるが、今度は旗本として召し出され復帰し、1000石を得た。家康の死後も、2代将軍である徳川秀忠の上洛へ従い、3代将軍・徳川家光の代で旗奉行になる。家光には戦国生き残りの武人として呼ばれ、よく話を聞かせたと言われている。1635年頃から「三河物語」の執筆を行っていたとみられる。講談では逸話、奇行の持ち主として有名だが、創作が多分に盛り込まれており事実ではない。 愛知県額田郡幸田町にある八百富神社は大久保忠教を主祭神として祀っている。この場所は元は忠教の陣屋跡であり、現在も鳥居の下に当時の石垣が残っている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
大久保彦左衛門おおくぼひこざえもん
その他
祀られている主な神社
八百冨社
(愛知県幸田町大字坂崎字御屋敷10番)
