太田道灌 神社の神様 - 神社ファン

太田道灌

おおたどうかん

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
太田道灌

表記なし(パブリック・ドメイン)

太田道灌

緑亭川柳(英雄百首)

祭神ランキング1003位

  • 武人

室町 [1432年~1486年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 太田道灌とは?

    太田道灌(1432-1486)は、室町時代後期の武将。武蔵守護代・扇谷上杉家の家宰。「関東不双の案者」と称えられた太田資清の子。江戸城や川越城などの名城を築城したことで知られており、さらに武将としての才と、歌人としての才を併せ持っていたとして語られている。幼いころから学問に励み、鎌倉の建長寺や足利学校で学んだとされている。山内上杉家が道灌を家臣に迎えようとしたが、扇谷上杉家が「この子の価値は財宝にも代えがたいものだ」として道灌を手放さないほどだったという。享徳の乱のただなかで24歳で家督を継いだ道灌は、古川公方の勢力に対抗するため、防衛拠点として江戸城を築いた。以降30年ほどの長い戦乱の中で30回以上も出陣した道灌は1敗もすることなく、集団で戦う「足軽戦法」などを用いて常勝したといわれている。しかし、その不動の名声が仇となり、主君である上杉定正の屋敷に招かれた際に風呂を勧められ、丸腰のところを暗殺された。享年55歳。暗殺は、謀反を恐れた定正が命じたものだとされ、道灌はその動向を察知して、万が一に備えて嫡男の資康を古河公方成氏に預けていた。 東京都豊島区駒込にある妙義神社の末社・道灌霊社には、太田道灌が祭神として祀られている。道灌自身が訪れ、宝剣などを捧げ戦勝を祈願したという。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    別称・異称

    太田資長

    おおたすけなが

    その他

    太田持資

    おおたもちすけ

    その他

    祀られている主な神社

    末廣神社
    (千葉県山武市松尾町松尾542番ノ21)
    五霊神社
    (神奈川県伊勢原市上粕屋790)