多久茂族 神社の神様 - 神社ファン

多久茂族

たくしげつぐ

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
多久茂族

表記なし(パブリック・ドメイン)

祭神ランキング1527位

  • 藩士(佐賀藩)

江戸 [1833年~1884年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 多久茂族とは?

    多久茂族(1833-1884)は、江戸時代後期から明治時代初期にかけての武士。10代多久邑主・多久茂澄の長男。1837年に3歳で家督を継ぎ、1847年に元服。翌年から長崎警備に従事し、武具方・御小物成方頭人、長崎仕組頭人、弘道館頭人を歴任した。以降も佐賀藩政において多久領の兵制の近代化を図るなど、後の世に繋げるため尽力した。1864年、14代将軍・徳川家茂の上洛に伴って京都へ赴く。以降は長州征討や、多久領兵500名を率いて下野国鎮撫に参陣。会津城籠城戦ではアームストロング砲での砲撃を指揮した。明治維新後は1871年に浜松県権令に任命され、翌年は伊万里権令に転任する。伊万里に通勤する不便さと旅費の無駄から、県庁を伊万里から佐賀に移転することを大蔵省に願い出て認められる。伊万里県が佐賀県へと改称された後しばらくしてから辞任、その後は炭鉱開発や士族の救済のため士族授産などに努めた。 佐賀県多久市多久町にある多久神社では、多久茂族を御祭神として祀っている。多久神社は元は1844年に茂族自身が先祖への報恩と子孫の繁栄を願い、始祖龍造寺家兼と長信、多久安順を祭神として梶峯神社を創建したものが始まりとなっている。1885年に茂族を合祀した。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。