村上義光
むらかみよしてる
- 歴史的人物
- 男神・男性

井上安治(教導立志基)
祭神ランキング1527位
- 武人
鎌倉 [~1333年]
村上義光とは?
村上義光(?-1333)は鎌倉時代の武士。村上信泰の子で村上義隆らの親。兄弟に村上信貞らがいる。信濃国(長野県)更級郡や埴科郡を中心に勢力をもった、清和源氏頼信流の信濃村上氏に生まれる。南北朝時代に編纂された系図「尊卑分脈」や史書「梅松論」では義日と表記され、通称は彦四郎とした。1331年に始まった元弘の乱では子の義隆と共に護良親王に従い、高野山へ逃れる親王の助けとなり鎌倉幕府軍と戦った。同時代の軍記物語「太平記」には義光の活躍が描かれており、親王が拠点とした吉野へ幕府の攻撃がかけられ、攻防の末に吉野の陥落が迫り、義光は親王を落ち延びさせるため身代わりとなり、自刃し壮烈な最期を遂げたとある。打ち捨てられた義光の亡骸は、里人によって葬られたと伝えられ、義光の墓として残されている。1908年には従三位が追贈された。 義光は鎌倉宮の村上社(神奈川県鎌倉市)で祭神としてまつられている。村上社は、主君・護良親王を祭神とした鎌倉宮の摂社として建立された。2004年には、台風で倒れた樹齢100年を超す欅の大木を使って義光の像が彫られた。この像は「撫で身代わり様」と呼ばれ、多くの人々に参拝されている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
