尊良親王 神社の神様 - 神社ファン

尊良親王

たかよししんのう

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
尊良親王

中村頼治(絵本太平記)

尊良親王

菊池容斎(前賢故実)

祭神ランキング1003位

  • 皇族

鎌倉~南北 [1310年~1337年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 尊良親王とは?

    尊良親王(?-1337)は鎌倉時代~南北朝時代の人物。後醍醐天皇の子で、宇津峰宮の親。妻は御匣殿ほか。従兄弟の邦良親王が急逝したことで、後醍醐天皇の第一皇子であった尊良親王は次代の皇太子候補者に選ばれている。ところが持明院統との政争に敗北し、実際に皇太子となったのは量仁親王(後の光厳天皇)だった。ただしこの件で朝廷との関係が悪化することもなく、以降も後醍醐朝の有力政治家として活躍した。しかし1331年には後醍醐天皇の勢力が幕府打倒を掲げて「元弘の乱」を引き起こしたため、尊良親王は幕府軍に捕らわれて土佐国(現在の高知県)への流罪に処されてしまう。後醍醐天皇が建武の新政を始めた頃には京都への帰還が叶い、建武の乱に際しては上将軍として足利尊氏討伐の兵を率いたがあえなく敗退。新田義貞の子・新田義顕と共に金ヶ崎城に立てこもって防戦を続けたが、足利軍の兵糧攻めに耐え切れず、ついには自害してこの世を去ってしまう。 死後、尊良親王は異母弟の恒良親王と共に金崎宮(福井県敦賀市)の主祭神となった。妃の御匣殿との恋愛伝説が残ることから、金崎宮は「睦び和合の神様」と称され、夫婦円満・家内安全・縁結びにご利益があるとされている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。