足利忠綱
あしかがただつな
- 歴史的人物
- 男神・男性

菊池容斎(前賢故実)
祭神ランキング1003位
- 武人
平安 [1164年~]
足利忠綱とは?
足利忠綱(1164-?)は平安時代後期の武将。父親は足利俊綱。足利という姓には清和源氏を始祖とする源姓足利と藤原秀郷を始祖とする藤姓足利が存在し、平安中期頃より両足利氏は並び立っていた。忠綱は藤姓足利の中でも最も勇猛な武将として知られている。鎌倉時代に編纂された歴史書吾妻鏡では「代無双の勇士」と形容されている。治承・寿永の乱において以仁王が平清盛討伐を目的としいぇ挙兵する際に令司が足利市には届かなかったことから平氏の側について挙兵する。この時忠綱は17歳の若さであったが宇治川の戦いをはじめ数々の武功を挙げた。しかし、源姓足利氏や新田氏は源頼朝に帰順し忠綱の情勢は徐々に悪化していった。忠綱は常陸国の志田義広などと呼応し頼朝と対するが敗北し逃げ延びる中消息不明となった。 忠綱は群馬県桐生市にある皆沢八幡宮に祭神として祀られている。皆沢八幡宮は忠綱が頼朝との野木宮合戦に敗れた際にこの地で打ち取られたと言い伝えられている。ただし、忠綱はこの地よりさらに山中に逃れ、西国に逃げ延びたという説もある。
ご神徳
ご神徳は不明です。
