蘇我入鹿
そがのいるか
- 歴史的人物
- 男神・男性

月岡芳年
祭神ランキング1003位
- その他
飛鳥 [611年~645年]
蘇我入鹿とは?
蘇我入鹿(?-645)は飛鳥時代の豪族。蘇我馬子の孫で蘇我蝦夷の子。祖父・父と大和朝廷で大臣の地位にあった有力豪族の蘇我氏に生まれる。藤原氏先祖の伝記「藤氏家伝」によると、青年時代の入鹿は唐に渡って仏教や学問を納めた学僧・旻に学び、その才知を高く評価されたとある。642年の皇極天皇即位の時点では、国政を左右するほど権勢を極めていたとされ、翌年には父・蝦夷から紫冠を授けられ大臣の位を譲られている。この後、次期天皇の最有力候補といわれた山背大兄王とその一族を斑鳩宮において攻め滅ぼした。これは、馬子の娘・法提郎媛の子で、入鹿の従兄弟にあたる古人大兄皇子を即位させるためだといわれている。結果としてこの事件は、絶大な権力を握る蘇我氏宗家への反感をさらに強めることとなり、入鹿は645年飛鳥板蓋宮の儀式の場で、中大兄皇子、中臣鎌足らによって殺害された。 入鹿は入鹿神社(奈良県橿原市)で祭神としてまつられている。首をはねられて最期を迎えたことから、首から上の病に霊験あらたかといわれる。かつての蘇我氏の領地であり、蘇我氏と縁の深い土地に建立され、現在も地元の人々の信仰を集めている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
