蘇我倉山田石川麻呂
そがのくらやまだのいしかわまろ
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- その他
室町 [~649年]
蘇我倉山田石川麻呂とは?
蘇我倉山田石川麻呂(?-649)は飛鳥時代の豪族。蘇我馬子の孫で蘇我倉麻呂の子。蘇我興志らの親。政治の中枢にある有力豪族、蘇我氏の一族であったが、麻呂にとっての宗家で従兄弟の蘇我入鹿の謀殺「乙巳の変」に加わった。この事件をきっかけに「大化の改新」と呼ばれる改革が行われ、事件を主導した中大兄皇子は皇太子となり、麻呂は皇子によって右大臣に任命される。娘の遠智娘、姪娘の2人を中大兄皇子の妃とし、宗家に代わって栄華を極めるかに見えたが、中大兄皇子殺害を目論んでいるとの密告を異母弟である蘇我日向によってされる。謀反の疑いをかけられ追討軍が差し向けられる中、一族の氏寺として建立していた大和の山田寺まで逃れていく。しかし山田寺も間もなく包囲され、これに対し長男の興志らは抗戦の意思を強めるが、麻呂は戦うことなく自害し、一族の者も後を追い自害した。 建立中に発願者が自害したため、山田寺の工事が中断した時期もあったが、約14年後に天智天皇となった中大兄皇子が工事を再開させている。また中大兄皇子の弟・大海人皇子が天武天皇となってから、麻呂の霊を慰めるため丈六仏の像を作らせた。山田寺は約40年かけ完成したと伝えられる。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
蘇我石川麻呂そがいしかわまろ
その他
