曽我兵庫助 神社の神様 - 神社ファン

曽我兵庫助

そがひょうごのすけ

  • 歴史的人物
  • 男神・男性

祭神ランキング1527位

  • 武人

戦国

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 曽我兵庫助とは?

    曽我兵庫助(?-?)は戦国時代~安土桃山時代にかけて活躍した武将。曽我氏は相模国足柄下郡曽我郷(神奈川県小田原市)を本拠とした豪族。古くは日本三大仇討ちで名を馳せた曽我兄弟の流れをくむ古豪の家柄であった。兵庫助は関東管領の家柄筋に当たる扇谷上杉氏に仕えていた。江戸城築城で有名な太田道灌もまた扇谷上杉氏の家臣であり、兵庫助は道灌に比べれば新参の家臣となる。道灌は関東の戦乱の中戦勝を続け、その戦功により上杉氏は関東において勢力を拡大する。しかし、いつしか上杉氏の勢いを凌駕するほどに増大した道灌に対して上杉氏は疑念と恐れを抱くようになり謀殺におよぶ。その際に兵庫助が実際に手をくだし道灌を殺害したと言われている。その後兵庫助は河越城代となり、道灌に代わり扇谷上杉家の家政を取り仕切る立場になった。しかし、この道灌殺害が長享の乱の発端となりやがて扇谷上杉氏は勢力を失っていくことになる。 兵庫助は滋賀県犬上郡多賀町にある曾我神社に祭神として祀られている。曽我氏の本拠は相模国であるが宇治川合戦での戦功により多賀庄内に所領を賜ったことが創始とされている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。