曾我時致
そがときむね
- 歴史的人物
- 男神・男性

月岡芳年(雨後の山月 時致 -曽我兄弟- パブリック・ドメイン)
祭神ランキング385位
- 武人
鎌倉 [1174年~1193年]
曾我時致とは?
曾我時致(1174-1193)は鎌倉時代初期の武士。父親は伊豆国の豪族河津祐泰、兄の曾我祐成とともに曾我兄弟として知られる。父の祐泰は工藤祐経の従者によって暗殺されるが、祐泰と祐経との間に伊豆久須美荘をめぐる所領争いがあったと言われている。父祐泰の死後、母親が相模国曾我荘(神奈川県小田原市)の曽我祐信と再婚したために曾我姓を名乗るようになる。北条時政を烏帽子親として元服した際に偏諱をいただき時致と名乗るようになる。鎌倉幕府成立間もない1193年に源頼朝が富士野で大掛かりな巻狩りを行う。その際に時致は兄祐成と共に父の仇である祐経を討ち果たし、かたき討ちを成し遂げる。その後、頼朝に捕縛された時致はかたき討ちの心情を訴えるが処刑された。赤穂浪士による吉良上野介に対するかたき討ち、荒木又右エ門による伊賀越えのかたき討ちと並び、日本三大かたき討ちと称されている。しかし、このかたき討ちにはもともとは頼朝の命を狙った策略であっという説もある。 時致は神奈川県足柄下郡箱根町にある曽我神社に祭神として祀られている。曽我神社は箱根神社の境内社であり、曾我兄弟の御霊を鎮めるために勝名荒神祠として祀られたことが起源となっている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
