前田利常 神社の神様 - 神社ファン

前田利常

まえだとしつね

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
前田利常

那谷寺所蔵(パブリック・ドメイン)

祭神ランキング655位

  • 藩主(加賀藩)

安土桃山~江戸 [1594年~1658年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 前田利常とは?

    前田利常(1594-1658)は、安土桃山時代末期から江戸時代初期にかけての武将、大名。加賀藩の第2代藩主、加賀前田家3代目。加賀藩祖・前田利家の四男で、母は側室の千代保。1605年に利長が隠居したため家督を継ぎ、1614年の大坂冬の陣で徳川方として参戦。前田軍は徳川方でも兵が最も多く、2万以上を率いていたと言われる。徳川家康は大坂城を包囲するつもりで利常にも攻撃命令を下していなかったが、功に焦った利常は独断で真田丸を攻撃し、多数の犠牲者を出しつつ敗北した。しかし大坂夏の陣での前田軍は苦戦しながらも3200の首級をあげた。大坂の陣後、家康は土佐など4国を恩賞として与えようとしたが、利常は加賀・能登・越中の安堵を望んだため、これを認められた。1631年には大御所・徳川秀忠が病床にいる間に城の補修や船舶を購入していたため謀反の嫌疑をかけられるが、自ら江戸に下り家臣の奔走もあって、嫌疑を晴らすことが出来た。1639年、家光は利常の隠居を留めようとしたが利常の心は固く、嫡男の光高に家督を譲ると隠居した。しかし1645年に光高が急死。光高の子・綱紀が幼かったため、家光の命で後見人として藩政を補佐した。十村制や改作法などの優れた農政事業や治水などの内政で「政治は一加賀、二土佐」と賞されるほどの優れた手腕を発揮した。 石川県小松市天神町にある小松天満宮は、前田利常を主祭神として祀っている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    祀られている主な神社

    尾崎神社
    (石川県金沢市丸の内5-5)
    葭島神社
    (石川県小松市大川町2丁目122)