前田斉泰
まえだなりやす
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 藩主(加賀藩)
江戸~明治 [1811年~1884年]
前田斉泰とは?
前田斉泰(1811-1884)は、江戸時代後期の大名。加賀藩第12代藩主。第11代藩主の前田斉広の長男。妻は徳川家斉の娘・溶姫。元は又左衛門や利候と名乗っていたが、1822年に将軍・徳川家斉から偏諱を授って斉泰に改名した。同年に父の隠居で家督を継いでいるが、12歳とまだ幼かったため依然として父が藩政を握っていた。2年後、父・斉広が死去すると藩政改革を開始。開国論などが出始めた折であったため、革新派を擁して洋式軍制を取り込むなどした。1864年におこった禁門の変の際は、長男の慶寧に御所を守らせていたが敗走、斉泰はこれに怒り、慶寧は謹慎させ慶寧と親密な尊皇派の武士たちを悉く排除した。1866年には慶寧に家督を譲って事実上は隠居したが、実権は変わらず握っていた。以降も加賀藩が薩摩や長州のような重要な立場に置かれるよう様々な裏工作を画策したが、尊皇派の藩士は自らが排除してしまっていたため他藩に後れをとり、右腕であった家老の本多政均が暗殺されるなどの事件も相まって目論見は失敗に終わる。1884年、74歳で死去。 石川県金沢市兼六町にある金沢神社では、前田斉泰を御祭神として祀っている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
