前田斉広 神社の神様 - 神社ファン

前田斉広

まえだなりなが

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
前田斉広

前田育徳会所蔵(パブリック・ドメイン)

祭神ランキング1527位

  • 藩主(加賀藩)

江戸 [1782年~1824年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 前田斉広とは?

    前田斉広(1782-1824)は、江戸時代後期の大名。加賀藩の第11代藩主で、加賀前田家12代目。第9代藩主・前田重教の次男。重教が隠居し、重教の弟・治脩が家督を継ぎ第10代藩主となった後に産まれた。兄が早くに亡くなったため、代わりに治脩の養子となった。1797年、将軍・徳川家斉から偏諱を授かり斉広に改名。1802年、治脩の隠居に伴い家督を継ぐ。偕楽園、後楽園と並ぶ日本三名園の一つである兼六園を造設した。これは元々前田家の庭園であったところで、大規模な拡張と改修をしたものに松平定信が宏大、幽邃 、人力、蒼古、水泉、眺望の六勝を兼ね備えているとして兼六園と命名した。斉広は洋学を取り入れることに熱心で、蘭学医や学者を招き藩士に学ばせた。その結果、加賀藩からは蘭学者の黒川良安、西村太沖や遠藤高璟ら科学者たちを多数輩出された。斉広はその後も藩政改革に取り組んだが、結果が出ずに頓挫してしまい、1822年には長男である斉泰に家督を譲り隠居した。1824年、43歳で死去。 石川県金沢市兼六町にある金沢神社は、前田斉広たちを主祭神として祀っている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。