千葉秀胤 神社の神様 - 神社ファン

千葉秀胤

ちばひでたね

  • 歴史的人物
  • 男神・男性

祭神ランキング1527位

  • 武人

鎌倉 [~1247年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 千葉秀胤とは?

    千葉秀胤(?-1247)は鎌倉時代の武将。上総介常秀の嫡男であり、母親は不明。三浦義村の娘を娶り、官位は従五位下をいただき、父常秀の跡を継ぎ上総権介に任ぜられる。鎌倉幕府の最高執行機関である評定衆に千葉氏の武将として唯一列せられる。幕府の中では、第4代将軍である九条頼経を三浦光村、後藤基綱、藤原為佐、三善康持らとともに押し立てて執権北条経時と対峙することになる。経時が亡くなった際に弟の時頼が執権を継承したことを発端に勃発した政変によって評定衆は更迭され、秀胤は自らの本国である上総国に帰されることになる。しかしこれは、決定的な対立を恐れた時頼の懐柔策ともとれる。その後執権の北条氏と有力御家人の三浦氏の対立から勃発した宝治合戦のため三浦氏が滅亡に追いやられ、娘婿となる秀胤にも追討の手が伸びる。追い詰められた秀胤は自らの館に火を放ち160名を超える一族郎党とともに自害して果てた。 秀胤は千葉県長生郡にある三ノ宮神社に祭神として祀られている。三ノ宮神社は大須賀胤氏、東胤行らの千葉氏同族に追い詰められて自害した大柳館の脇に建立されている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    別称・異称

    境兵衛次郎

    さかいひょうえじろう

    その他

    境秀胤

    さかいひでたね

    その他

    上総秀胤

    かずさひでたね

    その他