赤松義雅 神社の神様 - 神社ファン

赤松義雅

あかまつよしまさ

  • 歴史的人物
  • 男神・男性

祭神ランキング4751位

  • 武人

室町 [1397年~1441年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 赤松義雅とは?

    赤松義雅(1397-1441)は室町時代の人物。赤松義則の子で、赤松時勝の親。当時の守護大名・赤松満祐は実兄にあたる。義雅は代々で守護大名を務めた名家・赤松氏のもとで生まれ、家督は兄の満祐が継いだものの、自身もまた武将として伊予守を務めた。1432年の大和永享の乱においては自軍を率いて出陣し、反乱の中心人物の越智維通が立て籠った箸尾城を見事に攻め落としている。ところが第6代将軍・足利義教は、有力守護大名に対する干渉策として、守護大名の配下でもあった義雅の所領を全て没収してしまう。このことが赤松氏と足利氏の関係を決定的に悪化させ、満祐による義雅の暗殺事件、世に言う「嘉吉の乱」の火種となった。将軍暗殺の計画に義雅は一切関与していなかったとみられるが、実行犯の弟であることから幕府は義雅を満祐方と判断。こうして幕府の討伐軍と戦う羽目になった義雅は、敗戦の果てに息子を遺して自害した。 一説によると義雅は嘉吉の乱を逃れ、垂水四郎を称して出雲で余生を過ごしたともいう。ただし垂水四郎の正体は満祐の子・祐信だったという説も。いずれにせよ垂水四郎を祭神とする垂水神社(島根県出雲市)は、赤松一族と実に縁深い神社と言える。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。