石川昭光
いしかわあきみつ
- 歴史的人物
- 男神・男性

東東洋(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 武人
戦国~江戸 [1550年~1622年]
石川昭光とは?
石川昭光(1550-1622)は戦国時代~江戸時代の人物。伊達晴宗の子で、石川義宗らの親。伊達政宗は甥にあたる。昭光は出羽国(現在の山形県)にて、戦国大名・伊達晴宗の四男として生を受けた。しかし陸奥国(現在の宮城県)の三芦城主・石川晴光の養子となったため「石川」の姓を名乗っている。1568年には晴光の隠居に伴って家督を相続し、第25代石川家当主となった。実家の伊達氏とも当初は良好な関係を築いていたが、伊達氏の当主が伊達政宗に代替わりした頃には一転して敵対。しかし1589年、摺上原の戦いにおいて敗戦した後は伊達氏の軍門に下っている。さらにその直後、昭光は小田原征伐に参加しなかった咎で豊臣秀吉に領地まで没収されてしまう。こうして一度は失脚した昭光だが、伊達政宗から新たに領地を賜り、その後は伊達一門の筆頭として政宗に仕えた。 1598年には伊具郡角田城1万2000石の領主となり、昭光は子々孫々に至るまで盤石の体制を築き上げた。昭光以降の系譜は「角田石川家」と称し、昭光はその初代として扱う。角田城に移り住む際、昭光は石川家の碑所である長泉寺を石川から移し、守護神である八幡神を石川から勧請している。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
小二郎親宗こじろうむねちか
その他
祀られている主な神社
幡守神社
(北海道室蘭市石川町141番地)
