石川義純
いしかわよしずみ
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 武人
鎌倉 [~1331年]
石川義純とは?
石川義純(?-1331)は鎌倉時代末期の人物。詳細な系譜は不明だが、伊勢国(現在の三重県)の亀山城主としても知られる石川氏の同族であった。義純が生きた時代、世は幕府打倒を企てる後醍醐天皇と、それを退けようとする鎌倉幕府軍によって激しい内乱が繰り広げられていた。これが俗にいう元弘の乱であり、武士であった義純は後醍醐天皇の招集に従って陣営に加わっている。1331年9月に京都を脱出した後醍醐天皇は笠置山に3000人余の兵を集めたと記録されているが、この中に義純も参加していた。笠置山に置かれた行宮においては、義純が守護を務めていたとも。ところが幕府側は後醍醐天皇を追い、一説には20万人余ともされる膨大な兵力を笠置山に送り込んだ。笠置山の陣営は自然の地形を活かして善戦するも、圧倒的な戦力差の前には成す術なく敗戦。義純は敗戦後の9月27~29日に自害したと伝わっている。 三重県の亀山神社には、石川義純が祭神として祀られている。同神社には源義家も祀られているが、これは石川氏が源義家を遠祖とする石川源氏の流れを汲んでいるため。尚、笠置山中にある笠置寺の敷地内にも「石川義純公碑」があり、彼の生涯を今に伝えている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
亀山神社
(三重県亀山市西丸町570-1)
