斉藤実盛
さいとうさねもり
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし

菊池容斎(前賢故実)
祭神ランキング1003位
- 武人
平安 [1111年~1183年]
斉藤実盛とは?
斉藤実盛(1111-1183)は、平安時代末期の武将。斎藤則盛(または斎藤実直)の子。相模国の源義朝と、その弟である上野国の源義賢の勢力の緩衝地帯である武蔵国幡羅郡長井庄を本拠とし、初めは義朝に従っていたが、後に義賢へと与する。1155年、義朝の子・源義平と畠山重能が大蔵の戦いで義賢を討つ。重能は義賢のまだ幼い子・駒王丸の殺害を命じられたが、2歳の幼子を殺すのはあまりにも気の毒だと、重能は義朝・義平親子と義賢の双方に仕えた実盛に駒王丸を託し、逃がすように命じた。実盛は根々井の大弥太を介して木曽にいる信濃権守中原兼遠を頼り、首尾よく母小枝とともに駒王丸を逃がしたという。この駒王丸が、後の木曾義仲である。1159年の平治の乱で義朝と義平親子は殺害され、実盛も家臣とともに敗走、長井庄へ戻った。その後平氏に仕え、歴戦の有力武将として重用される。義朝の子・源之頼朝が挙兵した際も鞍替えすることなく平氏へ留まり、平維盛の後見役となって頼朝追討に参加した。1183年、木曾義仲追討に参陣するが、篠原の戦いで敗北し軍は総崩れとなる。覚悟を決め髪を黒く染めた実盛は奮闘し、義仲の部将・手塚光盛に討ち取られた。池で首を洗い、実盛だとわかると義仲は恩人を討ち取ってしまったと一目も憚らず泣いたという。 長崎県諫早市小長井町牧にある実盛神社では、斉藤実盛を主祭神として祀っている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
長井別当ながいべっとう
その他
