青山忠俊 神社の神様 - 神社ファン

青山忠俊

あおやまただとし

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
青山忠俊

表記なし(青山忠俊伝 パブリック・ドメイン)

祭神ランキング1527位

  • 藩主(江戸崎藩
  • 岩槻藩
  • 大多喜藩)
  • 大老

安土桃山~江戸 [1578年~1643年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 青山忠俊とは?

    青山忠俊(1578-1643)は安土桃山~江戸時代の人物。青山忠成の子、青山宗俊の親。遠江国浜松(静岡県浜松市)に生まれる。7歳で、徳川家康・秀忠親子に拝謁、9歳のときには秀忠の側仕えとなる。小田原征伐で初陣を飾り、戦功を挙げる。その後、兄である忠次が夭折したため、忠俊が家督を継ぐ。秀忠の後継として徳川家光が立てられると、土井利勝、酒井忠世らとともに教育係となる。この3人をもって、「寛永の三輔」と呼ばれる。家光に対し、厳しく3代将軍としての教育を施していくものの、常々家光に対し口煩く諫めたことも原因の一つとなって、家光の将軍就任すぐに老中の職を解かれ、改易される。のちに許され、出仕を求められたが、忠俊はこれを拒否し、長男である宗俊だけを出仕させた。忠俊は、自分が再び出仕をするということは将軍が一度出した命令を覆すことになり、将軍の権威を損ないかねない、という理由で、断固として出仕を拒んだという。 青山忠俊は、青山神社(兵庫県丹波篠山市)に祀られている。忠俊より5代後の忠朝は、丹波篠山藩(兵庫県丹波篠山氏)の藩主になり、明治まで篠山の地を治め続けた。廃藩・廃城とはなったものの、明治に至るまでの青山家の良政に対し、御霊として祀ろうと創建されたのが、青山神社である。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    祀られている主な神社

    青山神社
    (兵庫県丹波篠山市北新町1番の1)