清河八郎 神社の神様 - 神社ファン

清河八郎

きよかわはちろう

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
清河八郎

表記なし(パブリック・ドメイン)

祭神ランキング1527位

  • 浪士

江戸 [1830年~1863年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 清河八郎とは?

    清河八郎(1830-1863)は、江戸時代末期の庄内藩出身の志士。庄内藩郷士・齋藤豪寿の子。本名は齋藤正明で、清川八郎と改名したのち、清河八郎を名乗った。7歳の頃から学問をはじめ、大変な悪戯好きで塾を追い出されたりしながらも、清川関所役人だった畑田安右衛門に師事し、論語・孟子・易経・詩経・文遷などを学んだ。また17歳の時に剣術を習い始めた。18歳で江戸に出て、東条一堂塾・安積艮斎塾を経て、若干25歳で清河塾を開いた。大変な旅行好きとしても知られており、学問をしながらの諸国漫遊、母親を連れて北信から伊勢を巡る旅などもしている。1860年、八郎は「虎尾の会」を結成。尊王攘夷・倒幕を掲げ活動するが、米国の通訳を暗殺した事件をきっかけに幕府の罠に嵌り、追われる身となった。しかし潜伏先で福岡藩士や肥後の尊攘派とも接触するなど、倒幕運動への情熱は失われなかった。幕府が浪士組結成の許可をすると、八郎は京に佐幕派を集めた上で浪士組を率いて京へ行き、到着とともに浪士たちを尊攘派へと誘う。攘夷に反対した後の新選組となる近藤勇や土方歳三らと袂を分かち、200名を率いて朝廷に建白書を上申し、受理された。幕府は浪士組を呼び戻し、手中に収めようとしたが対立は決定的だったため、八郎を麻布一ノ橋で斬殺、八郎の同志たちも捕縛し、浪士組は消滅した。 東田川郡庄内町清川にある清河神社は、清河八郎を主祭神として祀っている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。

    祀られている主な神社

    清河神社
    (山形県庄内町清川字上川原37)