水野忠元
みずのただもと
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 大名
江戸 [1576年~1620年]
水野忠元とは?
水野忠元(1576-1620)は江戸時代初期の人物。水野忠守の子で、水野忠善らの親。妻は三浦為春の娘。水野氏はもともと刈谷城を本拠とし、三河国(現在の愛知県)を広く支配した国人領主の一族である。忠元はそのような由緒ある武将の家に三男として生を受け、幼少期より二代将軍・徳川秀忠に仕えていた。後に秀忠の側近として幕政にも携わるようになり、江戸幕府の軍事を司る小姓組・番頭6人にも選ばれている。着任中に発生した大阪冬の陣・夏の陣にも参戦し、戦後はその功により3万石を与えられて下総国(現在の関東一帯)山川藩の初代藩主になる。また1617年には5千石が加増されて3万5千石の所領を持つ大名となった。水野氏は1575年に一度断絶していたが、忠元の活躍によって一族はここまでの再興を果たしたことになる。そのため水野氏の系譜ではこれ以降を「忠元系水野家」と称し、忠元をその初代として扱うのが一般的。 忠元から見て10代先の子孫にあたる水野忠邦は、1821年に藩祖の神霊として忠元を浜松城内に祀った。この分霊は1880年に建立された「豊烈神社」の祭神となり、同神社は今でも忠元系水野家の祖霊を祀る神社として大切に残されている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
