水野勝成
みずのかつなり
- 歴史的人物
- 男神・男性

賢忠寺所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 大名
戦国~江戸 [1564年~1651年]
水野勝成とは?
水野勝成(1564-1651)は戦国時代~江戸時代初期の人物。水野忠重の子で、水野勝俊の親。妻は良樹院ほか。徳川家康は従兄弟にあたる。勝成は若い頃から大層な豪傑で、1580年の「第二次高天神城の戦い」では15もの首を獲るという驚異的な活躍を見せている。戦のたびに首級を挙げる武闘派として勝成の名は知られていくが、21歳になる頃にはあまりの粗暴さに父親から勘当を言い渡されてしまう。それでも勝成は六左衛門を名乗って東西を放浪し、傭兵のような形で各地の戦に参加しては数々の戦功を上げ続けた。父親の死後は水野氏代々の所領である三河刈谷3万石を継ぐが、領主となった後も勝成の戦好きは留まるところを知らず、大阪の陣では大将でありながら先陣を切り、見事2つの首級を挙げている。こうした戦功から備後国(現在の広島県)福山藩10万石を与えられた勝成は、同藩の初代藩主として後年は城下町の整備に努めた。 荒々しい生涯を送った勝成だが、実は領内の寺社を次々に復興するなど、宗教の保護に積極的な一面もあった。現在、勝成の神霊は聰敏神社にて主祭神として祀られている。ちなみに同神社の名称は勝成が「聡明・俊敏」であったことに由来するという。
ご神徳
ご神徳は不明です。
祀られている主な神社
聰敏神社
(茨城県結城市結城1484番地)
