仁賀保挙誠
にかほきよしげ
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 大名
戦国~江戸 [1560年~1624年]
仁賀保挙誠とは?
仁賀保挙誠(1561-1624)は安土桃山時代から江戸時代初期に活躍した武将。出羽国由利郡(秋田県由利本荘市)の土豪赤尾津道俊の次男。27歳の時に仁賀保挙晴の養子となり家督を継いだ。上杉謙信の死後、出羽庄内の大宝寺義氏と領地を巡り争いが起こるが、豊臣秀吉の旗のもと小田原参陣をはたし所領三千七百石余を安堵された。その翌年には九戸政実の乱の討伐軍として軍功をあげ,その後も秀吉の配下として朝鮮出兵の際にも国内において様々な賦役を担い貢献している。しかし、秀吉の死後勃発した関ヶ原の戦いでは石田三成を見限り徳川家康方として東軍に加わる。関ケ原には参陣しなかったが、関東において上杉景勝との戦いに功をあげ由利郡内に五千石を拝領している。その後一時は常陸国武田へ移封されたが、大阪の陣でもまた功績をあげ一万石に加増の上されたうえ旧領に戻され仁賀保藩を立藩した。 挙誠は秋田県にかほ市にある仁賀保神社に祭神として祀られている。仁賀保神社は仁賀保氏の始祖である仁賀保友挙と挙誠を祭神として創建された仁賀保氏の邸内神社であったが、明治時代になって陣屋跡に再建された神社である。
ご神徳
ご神徳は不明です。
