仁科盛遠
にしなもりとお
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング1527位
- 武人
鎌倉 [~1221年]
仁科盛遠とは?
仁科盛遠(?-1221)は平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した武将。父親は木曽義仲軍の重臣として活躍した仁科盛朝であり、平繁盛の末裔と言われている。盛遠もまた義仲に仕え、義仲が自刃した際には次男の力寿丸を守護しつつ信濃国に戻った。鎌倉時代に入ると幕府の御家人となったが、後鳥羽上皇が熊野参詣の折に盛遠を知見し、西面武士として登用する。しかし、この事が幕府に無断で行われたために執権北条義時の怒りを買い所領が没収される。この義時の仕置を意に沿わないものとして後鳥羽上皇は義時追討の命を京都守護伊賀光季に命じた。この事が発端の一つとなり、承久の乱が勃発する。盛遠は上皇方の軍勢として参戦し、北陸道で幕府軍と対戦し討ち死にしている。しかし、盛遠の次男は幕府軍に与していたために仁科氏の血脈は絶えることをまぬかれた。 盛遠は長野県大町市にある仁科神社に祭神として祀られている。仁科神社は盛遠が居城としていた森城の本丸跡に建立された神社である。
ご神徳
ご神徳は不明です。
