真田昌幸
さなだまさゆき
- 歴史的人物
- 男神・男性

表記なし(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 大名
戦国~江戸 [1547年~1611年]
真田昌幸とは?
真田昌幸(1547-1611)は戦国時代末期の武将。真田幸隆の三男であり、幼名は真田源五郎。真田家は武田家の配下に属していたために、三男の幸隆は人質として信玄の元に送られる。信玄のもとでは奥近習として仕え、14歳にして川中島で初陣を果たしている。その後、武田家の名門である武藤家の養子となり、武藤喜兵衛と名乗った。その後、織田・徳川連合軍と激突した長篠の戦いで長兄信綱、次兄昌輝ともに討ち死にし真田家に復姓した。昌幸は長篠の戦いで武田勝頼の旗本衆として戦っていたため難を逃れた。武田の家督を継いだ武田勝頼は上杉氏と同盟を結び上野への侵攻を始めると、昌幸は沼田城を攻略、昌幸は信濃・上野の4郡を所領とし、勝頼の滅亡を機に独立する。所領を守るための第1次上田合戦では徳川家康率いる退けたことにより、戦国大名の一人として名を馳せることになる。豊臣秀吉の死後、昌幸は三成方の西軍に属し、第二次上田合戦では関が原に向かう徳川の大軍を退けるが、西軍は敗北し、昌幸も高野山に蟄居となり没している。 昌幸は長野県上田市の真田神社に祭神として祀られている。真田神社はもともと松平神社として明治時代に建立された神社であるが、その後上田城を築城した昌幸が合祀された。徳川勢を退けた武功から勝運があるといわれ、スポーツ向上や学業成就などのご利益があるとされている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
