真田幸村
さなだゆきむら
- 歴史的人物
- 男神・男性

上田市立博物館所蔵(パブリック・ドメイン)

楊斎延一(家康大仁村難戦之図)
祭神ランキング1527位
- 武人
安土桃山~江戸 [1567年または1570年~1615年]
真田幸村とは?
真田幸村(1567-1615)は安土桃山時代末期から江戸時代初期に活躍した武将。信濃国(長野県)上田城主真田昌幸の次男。本来の名は真田信繁であり、幸村と名乗った史実は存在しない。真田家が主家として仕えた武田信玄の弟に典厩信繁がおり、同名の混乱を避けるために江戸時代に入って綴られた軍記物などの書物で幸村の名が生まれたという説がある。真田家が属する武田勢と織田・徳川連合軍が激突した天目山の戦に敗戦し、上田城に引き返す際に北条軍4万あまりの兵を永楽通報六文銭の旗を掲げて退けたことから、以降六文銭が幸村の旗印となる。その後、豊臣家に仕え関ヶ原の戦いでは西軍に属したが敗退、幸村は高野山に幽閉される。その際に、真田紐を考案し売り歩くことで諸国の情勢を伺いつつ雌伏していたという逸話がある。大阪の陣では高野山を抜け出し、豊臣家が籠城する大阪城の武将として参戦。出城として真田丸を築き徳川勢を大いに苦しめるが戦死。しかし、徳川家はその勇猛な奮戦を認め、幕府内で幸村を讃えることを許したとされている。 幸村は長野県上田市の真田神社に祭神として祀られている。真田神社は上田城の本丸跡に創建された神社であり、幸村の勇猛は武功から勝運に恵まれ、受験や学業成就、スポーツ向上などにご利益があるとされている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
別称・異称
真田信繁さなだのぶしげ
その他
