真田幸弘 神社の神様 - 神社ファン

真田幸弘

さなだゆきひろ

  • 歴史的人物
  • 男神・男性
真田幸弘

真田宝物館所蔵(パブリック・ドメイン)

祭神ランキング1527位

  • 藩主(松代藩)

江戸 [1740年~1815年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 真田幸弘とは?

    真田幸弘(1740-1815)は江戸時代の武士。真田信安の子。信濃国(長野県)松代藩主真田家の長男として生まれ、父の死により6代藩主となる。幸弘が13歳の若さで家督を継いだ当時は、天災や冷害の被害、江戸への参勤費用、幕府の土木事業費捻出などで、どの藩も財政はひっ迫していた。松江藩でも財政の再建が急務となり、幸弘は家老職最年少の恩田民親を勝手掛に抜擢。民親は年貢の月割上納制、荒廃地の開発、倹約の徹底など改革を進め成果を上げた。幸弘は儒学者の菊池南陽を招いて講義を行うなど、藩士に学問を奨励し教育の振興にも努めた。幸弘自身も和歌や俳句をよくし、俳句は大島蓼太に師事。白日庵菊貫の俳号で句集を残している。47年にわたり藩主の座にあったが、跡を継ぐ男子は早世したため、近江国(滋賀県)彦根藩から井伊直幸の子・幸専を娘・三千姫の婿養子に迎え養嗣子とした。幸専に家督を譲り隠居して後、76歳で死去した。 幸弘は白鳥神社(長野家長野市)で祭神としてまつられている。松江藩初代藩主・真田信之が勧請したことに始まる神社で、7代幸専によって信之は武靖大神としてまつられ、8代幸貫の没後100年の際に、2代から10代までの歴代藩主9柱も合祀された。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。