真田幸貫
さなだゆきつら
- 歴史的人物
- 男神・男性

真田宝物館所蔵(パブリック・ドメイン)
祭神ランキング1527位
- 藩主(松代藩)
- 老中
江戸 [1791年~1852年]
真田幸貫とは?
真田幸貫(1791-1852)は江戸時代の武士。松平定信の子で真田幸良らの親。妻は雅姫ほか。江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の流れをくむ松平家に生まれる。信濃国(長野県)松代藩7代藩主・真田幸専の養子となり、6代藩主・真田幸弘の外孫にあたる雅姫を正室とした。1823年に幸専の隠居に伴い家督を相続。松代藩10万石の8代藩主となる。藩内に倹約令を出すと自らも質素倹約に努め、文武の奨励、産業の振興、軍備の増強など藩政改革に取り組んだ。人材の育成にも力を入れ、佐久間象山や村上英俊など有能な人材を積極的に登用している。藩士の子弟が先進的な教育を受けられる場として、次代に完成した藩校・文武学校の創設にも尽力した。藩政での実力が評価され老中となり、水野忠邦が行った天保の改革に協力。海防掛に任ぜられたが、忠邦の失脚に伴い改革も終わり、幸貫も病気を理由に老中を辞任している。 幸貫は白鳥神社(長野県長野市)で祭神としてまつられている。白鳥神社は初代藩主・真田信之が松代へ移封となった際に勧請し、以来真田家の氏神として信仰されてきた。幸専の代に信之を合祀。昭和に入り幸貫の没後100年の年には、2代信政からの歴代藩主も合祀されている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
