新納忠元
にいろただもと
- 歴史的人物
- 男神・男性

落合芳幾
祭神ランキング1527位
- 武人
戦国~江戸 [1526年~1611年]
新納忠元とは?
新納忠元(1526-1611)は、戦国時代から江戸時代にかけての武将。島津家家臣。父は新納祐久。13歳の頃から島津隆久と島津義久の2代に仕える。1545年の入来院との戦の際には、入来院家臣を一騎打ちで倒すなど功績を挙げる。その後も1562年の横川城攻め、1569年の大口城攻めにも参加し、特に大口城では負傷しているにも拘わらず奮戦し「武勇は鬼神の如し」といわれ木崎原の戦い・牛根城では1年以上も籠城を続けている敵将を説得するため自ら人質となるなど、知略にも長けていた。水俣城攻め、沖田畷の戦いでの活躍を経て、豊臣秀吉の九州征伐にも徹底抗戦を唱え武蔵守を自称したことから「鬼武蔵」と呼ばれた。しかし戸次川の戦いの後、敵将である長曾我部信親の遺体を引き取りに来た谷忠澄には涙ながらに若き信親の戦死を陳謝し、土佐岡豊城まで僧を同行させるほど丁重に送り出すなど、礼節を弁えた清廉の士であったことが伺える。また、戦場においても「古今集」や「源氏物語」などを読んでおり、和歌や連歌を嗜むなど高い教養をも備えていたといわれ、80歳を過ぎても現役を貫き通し、島津藩の若者の指針となる「二才咄格式定」を定めた。 伊佐市大口原田に、忠元を主祭神として祀っている忠元神社がある。
ご神徳
ご神徳は不明です。
