新田義治
にったよしはる
- 歴史的人物
- 男神・男性

祭神ランキング655位
- 武人
南北朝 [~1372年]
新田義治とは?
新田義治(1323-?)は鎌倉時代末期から南北朝時代の武将。父親は脇屋家の開祖脇屋義助。そのため脇屋義治とも呼ばれている。父義助は新田義貞の弟にあたることから、義治は義貞の甥となる。父義助は義貞が鎌倉幕府討伐のための挙兵に参加し出兵したが、義治はまだ幼かったために新田荘(群馬県太田市)に留まった。その後、建武の新政が始まると義治も上京し、叔父義貞の足利尊氏討伐の軍に参加し13歳で初陣を果たす。その後、父義助、伯父義貞に従い、南朝軍として各地を転戦したが、義貞が恒良親王と尊良親王を奉じて北陸に下るとこれに帯同する。義治は福井県南条郡にある杣山城に入り奮戦するが、義貞が入城した金ヶ崎城は北朝軍によって包囲されてしまう。義貞が亡くなると一時は吉野に入るが、室町幕府の混乱に付け込んで関東で義貞の息子らと共に宗良親王を奉じて挙兵。しかし、幕府軍に敗れ義治は出羽方面に逃走したと言われているが、その後の消息は不明である。 義治は愛媛県松山市の両新田神社に祭神として祀られている。両新田神社の社伝によれば、義治は北朝に追われ各地を転戦した後、当地で亡くなったとされている。
ご神徳
ご神徳は不明です。
