新田義顕 神社の神様 - 神社ファン

新田義顕

にったよしあき

  • 歴史的人物
  • 男神・男性

祭神ランキング1003位

  • 武人

南北朝 [1318年または1317年~1337年]

  • ご神徳
  • 同一神
  • 主な神社
  • 新田義顕とは?

    新田義顕(?-1337)は鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した武将。新田義貞の長男。母親は北条得宗家御内人安藤重保の女、あるいは上野国甘羅令安藤五郎重保(左衛門少尉)の女など諸説あるが定かではない。父義貞が起こした鎌倉幕府討伐の挙兵に加わり、その功績から建武の新政では五位下越後守叙任を叙せられ、武者所頭人に任じられている。義顕は後醍醐天皇の信任が厚く、父義貞が鎌倉に留まる足利尊氏討伐に出兵する際にも同道せず京に留まっていた。しかし、勢力が盛り返した尊氏に対して湊川の合戦で敗れると後醍醐天皇は尊氏と和議を結ぶ。この際に義顕はこの動きには同調せず、恒良親王、尊良親王を奉じて態勢の立て直しを図る義貞に随行し越前国に下向する。金ヶ崎城に入り、一時は北朝勢を退ける奮戦を見せるが、やがて高師泰や斯波高経らの軍勢におされ、義顕は尊良親王と共に20歳の若さで自害した。 義顕は福井県福井市にある藤島神社に祭神として祀られている。藤島神社の主祭神は父義貞であり、義顕は二人の兄弟とともに配祭神として奉賛されている。

    ご神徳

    ご神徳は不明です。